インタ-ネットで発見した英語の詩の翻訳の試み
(
my translating examples about English poems in internet site)

by Yuichi Kobayashi(小林勇一)

POEMS SEERShttp://www.poetseers.org/
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River Poem

And What happens once One crosses the River?

Some reach the Beautiful Land where All is available,

and All is possible in the Presence of God.

Some reach the Dark Land where their guilt leaves them trapped.

Some rest for a while and then travel back.

Some never reach the bank as they deny its exisence.

Truth is, as always,

You will see whatever You wish to see

On the other side of the River.


Athm 333: Long-time student of Metaphysics and various Spiritual teachings I am, through these poems attempting to communicate concepts aimed at stimulating inquisitive minds. A careful reading may reveal several layers of meaning.


河をこえ行けば何かあらむ
そこに未だ見ぬ美しい地の開けむ
神のあらしめし新たな世界を見む
様々な罪悪の暗黒の開けむや
ならばしばし戻り休むがよし
そこにあるもの否定することはできぬ
真理は常にそうである
あなたが見たいと思いば何であれ見る
その河のかなたに望みがある


インタ-ネットの不思議は実は世界とつながっていることである。しかし世界の情報を読むのは言語の障害でむずかしい。でも翻訳ソフトなどかなり役に立つようになっているからニュ-スレベルではわかるかもしれない、しかし詩となるとむずかしい。詩は最高にむずかしい。これは英語自体簡単な方だから自分なりに訳したが不十分である。なぜこれに興味をもったかというと河に興味があったからだ。大陸では河は重要な役目があった。河は国境であり交通路であり大事な水を供給するものであったから人類最古の四大文明は大きな河の辺に生まれたのだ。ナイルであれメソポタミアであれインダス、黄河とこれは大きな河である。日本にはこの大きな河がないから河のことがわからないのだ。この詩では河の向こうに何かあるというが日本人には確かに河は交通の障害になったことは確かだが河の向こうに別な世界が開けるということはありえない、国境になりえない、日本人にあっているのは「山のかなたに幸いがあり・・・」というものである。山のかなたに別な世界、桃源郷があるのだ。中国ではやはり河を伝って桃源郷に到達したが日本では山のかなたなのである。とにかくインタ-ネット時代は英語が重要になってきた。英語ができれば情報の世界がかなりひらけるし自ら世界に発信できる。英語で表現することができたらそうなるのだ。私のホ-ムペ-ジにも一日一人くらい外国人がアクセスしている。これはただ偶然でありまた自分のホ-ムペ-ジとは関係ないかもしれないが世界とつながっているということは実感するのだ。河についてはこれまでも書いてきたし今も一つのテ-マとして探求している。これはその一つとしてし加えるのに良かったのでここで取り上げた。外国のサイトで更に調べれば河についての視野が広がるがまだまだわかりにくいし外国のはわからない、詩自体むずかしいのとどこにあるのかわからないからである。

Rachel Dacus

Ghazal of White 白い薔薇の韻

Flare of apple scent, ancient caress. A wind arose within
and silently called me home to the White
Rose within.

芳醇な林檎の香り、古の香り、風はその白い薔薇にそよぎ
私を誘いその中に安らぎをえる


Silence is music's white heart. Through its blaze pass all sounds,
returning to the Beloved's gaze
that grows within.

奏でる音はなべてまた沈黙に帰り静かな凝視にもどる

Sunlight animates cell and eye, but cannot match
the gold that leaped from His touch and
now glows within.

日の光は目を輝かせるが心の内に輝くものこそ真の黄金の光輝な

I'm after the whiteness that winnows essence from pith,
a mysterious wind of love
that blows within.

妙なる愛の風の息吹にふれ、真実は選ばれ、静謐な真理が残る

Give up your white lies. We are fish in an ocean of God.
Why whisper, when every thought
He knows within?

あなたは嘘をついてはいけない、あなたは神の胎内を泳ぐ魚
あなたを神はしりたまい逃れることはできぬ


White music emerges from His word. Its timbre
strikes my heart awake after its age-old
doze within.

清らかな調べが今長い眠りからさめてひびきだす

Rose of Silence, You are the fulcrum of absence
and fullness, the perfect balance one rarely
knows within.

白き薔薇のつつましき静謐よ、あなたはそが内に満たされている

White blossom, your offering is a divine hint
of the flowering that, petal by petal,
unfolds within.

そが心の中に白き薔薇の花びらの一枚一枚の
神聖なる印のごとく散りにしを・・・・



Seeker, bleach your veils. Unthread your wishes and put your hand
in God's. As desire dies, its gold marrow
is disclosed within.

あなたの望むものは恐るることなく
絶えず求めるものに、その神秘のベ-ルははかされぬ
あなたの迷いの欲は消えて、黄金の果実は示され
神のやさしき手は汝の胸に置かれている


[First published in Many Mountains Moving]
www.dacushome.com.

Created by Webmaster
Contributors : Your-Oneness-Light
Last modified 2004-08-24 06:18 PM

芳醇な林檎の香り、古の香り、風はその白い薔薇にそよぎ

私を誘いその中に安らぎをえる

奏でる音はなべてまた沈黙に帰り静かな凝視にもどる

日の光は目を輝かせるが心の内に輝くものこそ真の黄金の光輝なれ

妙なる愛の風の息吹にふれ、真実は選ばれ、静謐な真理が残る

あなたは嘘をついてはならぬ、あなたは神の大海の胎内を泳ぐ魚

あなたを神はしりたまい逃れることはできぬ

清らかな調べが今長い眠りからさめてひびきだす

白き薔薇のつつましき静謐よ、あなたはそが内に満たされている

そが心の中に白き薔薇の花びらの一枚一枚の

神聖なる印のごとく散りにしを・・・・

あなたの望むものは恐るることなく

絶えず求めるものに、その神秘のベ-ルははがされぬ

あなたの迷いの欲は消えて、黄金の果実は示され

神のやさしき手は汝の胸に置かれている


なぜこの詩に興味をもったかというと河の詩というのでriver-poemで検索したらこれがでてきたのだ。これも不思議な経験である。ついでにみたらこの詩があった。今俳句で秋の薔薇とかをテ-マにしていたのと常に近くに咲いている白い薔薇が私の心をとらえていたからだ。なんらか白い薔薇をテ-マにした詩らしいことはわかる。ただそのまま直訳したらなんのことわからないのだ。でも白い薔薇というのが自分の頭の中にありそれでこの詩が偶然にでてきたので興味を持ち訳してみたのだ。インタ-ネットはこうした不思議な経験をすることがかなりある。外国のサイトでも言葉がわかれば読めるのだ。心が通じてゆくという不思議である。ただこうしたホ-ムペ-ジがどういうものなのか今よくわからない、誰が書いているのかまた過去のものなのか外国になるとわかりにくいのだ。ただ自分なりに訳してみてこの詩が意味が通じるようになっている。意味を通じさせたと言ってもいいかもしれない、詩というのも実際ふれるものは非常に少ない、読まれない詩というのは相当あるのだ。外国の場合は特にそうである。なぜなら紹介されない限りわからないからだ。とにかくインタ-ネットの情報の世界は広いからこれまでの世界が井の中の蛙であったことがわかるであろう。それが言葉がわかればとくにそうなるのだ。

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