2000 日記

     

2000−4−23

4月24日


ジャストネットで宇治川の桜の写真をそえたレスがあった、ホ−ムペ−ジに縦書きができないので聞いたのだが写真の会話というのも面白いと思った、日付付きの写真の方がいい、もうすでに今は散っているはずだから
インタ−ネットの面白さは離れた人と容易に会話できることだろう、それも全然見知らぬ人とである、私は日本全国隈なく旅行しているので宇治川にも一回行ったしああ、あそこかとわかるから日本の場合は会話になる
インタ−ネットはまだ未知の世界でありいろいろな可能性を試す世界でもある、パソコン通信には限界があったがインタ−ネットはまだまだ未知の世界である、こうして日記を公開しているのも今までにない世界なのだ
日々の変化が記されるということでインタ−ネットに向いているためみんなも書いているのだろう。それにしてもこれだけ増えたホ−ムペ−ジで他人の日記など丹念に読んでいる人などいるのだろうか中にはいるらしい、他人のことを覗きみる面白さがあるのだろう、私の日記はちょっと思い付いたことをメモ変わりに書くだけである,今までの日記は自分しか読まない、自分との対話であった、しかしインタ−ネットに公開する日記というのはどうなるのか、わずかの人でも読んでいるとなるとやはりプライバシ−やその他何かと詮索去れることが出てくるし書きたいことを書くということはできない、公表するということは私事ではないのだから、しかし家族のことやら私事に関すること、妻やら子供やらそうしたことを余り書かかれると嫌になる。もちろん読む読まないは自由なのだから咎めることはできない、インタ−ネットで世界旅行者という人が10万のアクセスがあったということには驚いた、そのホ−ムペ−ジには写真もほとんどないのにそれほどアクセスされることの驚きである、世界旅行に関する情報の要求が高いことの現れである、ニフティのフォ−ラムより一人でアクセスを稼いでいる、そういう時代だともいえる、10万と言っても一人の人間が10回くらいアクセスする場合があるから2万か3万人とも考えられる、それにしても凄い数である。どうも二年前頃からホ−ムペ−ジ持っている人はアクセス数が多かった、珍しさも手伝って見る人があった、今や膨大なホ−ムペ−ジを見てまわるのは相当な根気が必要だ、それが一つの問題になっている。


5月1日

自転車で三日ほど梁川まで行って疲れた、ここ二ヶ月間はホ−ムペ−ジ作りにかかりきりで体がかなりなまってしまった、自転車は結構楽じゃない、桜は満開で前に何回か行った所も今回はまた違って見えた、自転車の場合いいのは何回同じ所でも別な発見や違ったものを見ることである、ホ−ムペ−ジの魅力はなんといってもカラ−の写真などをのせられることだろう、一杯のせて俳句紀行をアップした、写真と一体化するとなんとなく雰囲気がわかってもらえると思う

5月2日

ホ−ムペ−ジ作りは結構楽じゃない、技術的な面の習得がありどう写真を配置するとかこるときりがない、パソコン通信は対話中心で常に相手のことを考慮しなければならないから個人プレ−は許されない、しかしどうもこのホ−ムペ−ジ作りは一人でレンガのブロックを積み重ね貼り付けたり部屋に絵や写真を飾ったり家具を調えたりとか自分一人で自分の家作りをしている感じだ、その家作りを誰かが見ている、しかし見ている相手が何を感じたかわからない世界でもある、パソコン通信の世界は常に反応なしでは成り立たない世界だったからホ−ムペ−ジは極めて自己中心主義にもなりうる、それも一つの問題かもしれない、とにかく絶えず字の大きさやら写真や絵を見栄えよくするにはどうするとか仕事が尽きないのである、おそらくこの世界は巨大な個人用の博物館とか美術館もできてしまう世界ではないか、50mbくらいでかなりの絵がのせられるから費用も本作りからすると実に安価なのである。パソコン通信の時代に最初思ったことはこれは個人の放送局じゃないかと確かに放送局だったのだ。しかしこれは一方的に流れてくるものではない、自分が絶えずアクセスしない限りこの世界と通じてゆくことができないことである。

5月10日

ここ一年、回りが住宅地に改造されたので工事ばかりでいやになった、道を作ることや下水道のためだったのだが住宅を全部移転して新しく作り直した、これも公共事業の一環でかなりの無駄であるがみんな家が新しくなったので反対する人もいなかった、我が家も一部改築することになるが自費であるから損だ、家のものが体が悪いのにも困るし10日ほど苫小牧の方まで船で行き苫小牧から秋田まで船で下がり今度は自転車で青森の十和田湖に行く予定だ、こんな風に変則的になるのは自転車だと秋田まで行くに疲れるからだ、あとは帰りは自転車を送ってもらうようになる、インタ−ネットのホ−ムペ−ジ作りなど忙しい時なので困ったが今一番いい時期なので行く他ない、ホ−ムペ−ジにのせるにはいい写真をとる必要がある、また報告したい、すでに北海道旅行は何回もしてをりそのペ−ジ作りは進行していた、・・・・・・・・・・

5月12日−−本の流通の変化(電子本と書店)

月曜日に大工さんが来るから月曜日に苫小牧に行く予定、苫小牧から八の戸へに来て十和田湖町から十和田湖に行くことにした。このへんは道が縦横にできてまるっきり変わってしまった、住宅地はたくさんできたのだが家を建てる人は少ない、金がないので建てられないのだ、道路は良くなる、住宅地はできる、しかしそこに棲む人は増えない、私の場合はこうした小さい静かな小さい町が棲むにはいい、私は静かでないといられないのだ、小さい町でもすぐとなりに医者がいて家の人が病気の時は一ケ月看護婦が通ってくれて注射してくれた、老人にとっては近くが大事なのだ、私の家には自動車はないから助かる、しかしまもなく近くの医者もなくなる、高齢でやっていけなくなるし跡を継ぐ人もいないから、医者が近くにあり買い物ができればあとはそんなに必要ではない、というのは本やその他のものはそんなに必要なものではない、

兼行法師も徒然草で言っていた、必要なものは一つには
ものくれる友、薬師と、知恵ある友と・・・・・ものとは日曜の必需品が手に入ることである、友といったのはおそらく今のように簡単に日用の物が手に入らないので友を通じて手に入れていたのだろう。その友は別に話し合う友でなく物が第一にしていた友だった、一方知恵ある友とは精神的な友のことである。兼行は他の宗教者のように布施をもらうこともなく友から得ていた、信者や弟子ではなく近くにそうした人を持っていた,この世にそんないろんなものは必要ではない、情報ですらあまりに多くなる処理しきれないのだ、だから今では通信にしてもいちいち答えたり相手と話すことが億劫になってきた、なかなか話すべきほどの人が見つからないということも言える、ホ−ムペ−ジにアクセスが少ないので多少はコミニケ−ションをとらざるをえないがものを書くということもつれづれなるままによしなしごとをというのがのんきなのかもしれない・・・・・・・・・そもそも本にしても余り数をふやしても消化しきれない、いい本は何回読んでもいいしそれは熟読玩味するものである、いい本には何回読んでも新しい発見がありアイディアが得られるものである、結局これも読む人が良ければ本も生きてくるが読む人に力量がないと本も読めないのである、ただ基本的な古典やいい本は身近にそろえて日常的に手にとる必要がある
常にいいものに接することが今は生きてこないとしてもあとで生きてくる場合がある、人間いかなる人も研鑚なくして進歩はない,結局才能ではなく日々の研鑚を怠ることがいいものができないことに
なる、いいものが一朝一夕にはできないからである。



6月26日

一ヶ月の北海道旅行から帰りそれから家の改築やら家のものの病気などで通信には手がつけられなかった、まだまだ落ち着く状態ではないので書くものはたくさんあるし写真も一杯とってきたがまとめるのに時間がかかる、自分にとってはかなり苦しい事態だから・・・・・・とにかく読む人は少なくとも自分の作品を形あるものにしてみることは意義あることだ、ただこの世界ちょっと離れると操作がわからなくなったりするので困る、一部が見れなくなっているし操作がわからなくなってしまった


7月10日

ここ一ヶ月通信には手がつけられなかった、とにかく病人二人かかえるとこれは楽ではない、病気の原因が老化と関係していて老人の病気は医者に通っても直らない、病を軽くすることはあるが根本的には直らない、助かったのはすぐ近くに医者があり毎日往診に看護婦さんが来てくれて点滴やら注射をしてくれたことである、兼好法師が1番にものをくれる人をあげ次に薬師を必要なものとしてあげたことはうなづける、老人にとっては近くが大事になる、医者が近くにいることはいかに便利かわかる、隣の市の大きな病院では機械で心電図やらでみてもらうのだが待たされる時間が長すぎる、一日かかりでありそれで疲れて体を悪くしている、大きな病院は治療には適していないのだ、治療は近くの病院がいいのだが町医者は精密に審査することができないので大きな病院に行くのだがそこでは近くの町医者のように人間的に扱ってくれないのだ、そして医療の問題は病院同士で別々に対応して協力がないことである。ある病院に行ったら「義理で来ているのか、タクシ−でもこれるだろう」と言われたという、別な病院に行くと他者の病院や医者にみてもらうことさえ嫌う医者がいるなのだ、患者はサ−ビスを受ける方なのだが医者が患者の上にあるのが現実だから患者は医者の前では小さくなっている他ないのである、とにかく老人の問題ではいろいろ考えさせられた、高齢化社会の問題は深刻である、老人はただ年をとってゆくのではない、確実に老化してゆく、老化は病気であるが直しようのない病気なのだ、だから常時医者に通うことになる、でも老化は直らないのだから医者も直せないのだ、それにしても悪いことは続くものだ、回りは今なお新しい住宅地に改造中で新しい家が20軒くらい建った、まわりの景色は全く変わってしまった、それから台風も来たがこれは被害はなかった、次に近くの若者が自殺した、原因はよくわからないがその家の者には金を貸したりしていたし突然のことで驚いた、いろいろあって疲れてというのが動機らしいが実はこれも人事ではなかった、我が家でも直面したことだった!!!!・・・・・こうしてとにかく自分も疲れてしまって何もできなかったのである、わかったことは心に余裕がないととても俳句であれ文筆活動もできないことである、いろいろなプレッシャ−がかかりのんびりと月すらみてられなかったのである。


8月7日

全く悪いことは続くものだ、今度の災難はパソコンの全面的故障だった、一年半くらい一回も再インストールなどしなかったので安全だと思っていた、さにあらずさにあらず最悪の故障が待っていたのだ、パソコンに安全などない
IBMの会社でも直すことのできない、システムボードからハードデスクの交換しか手がないものだった、幸い内臓のハードデスクに保存したもの、外付けのハードデスクに保存したものCD−Rに保存したものは残った、本体Cのハードデスクは全部消えてホームページの一部も消えた、製作途中で保存しなかったのだがインターネットにアクセスして復元した。とにかくパソコンはどこのものも安全なものはないことを肝に銘じることを改めて知った、自分の場合再インスト−ルさい不可能になっていたのだ、いろいろなものを外につなぐとパソコンは不安定になる,ソフトも多くなると不安定になる、そして最悪の事態がやってくる、予期せぬときに、コンコルドも事故になった、どんな安全策をとっても事故は不可避的に起こる、10年事故なしでも10年目に最悪の事故は起きる、パソコンはなおさちそうである、複雑な中身を全部知るものはないしメ−カ−さえお手上げなのだ、こまめにデ−タ−の保存をがいぶにしていないととんだことになる、一旦壊れると復旧が大変である,win95使っていたのでなおさらだった,ただ95から98に移るのをちゅうちょしていたのがよくなかった、めんどうになると思ってしなかったのだが95と98はほとんど変わらないもので95のソフトも使えるものだった、しかしパソコンの恐怖はソフトのパ−ジョンアッフで使いなくなったり呼び出せなくなったりする恐怖がある、本当に安全を図るなら紙に印刷しておくべきである。なんらかの変化で呼び出せなくなる可能性がある。



8月22日

お盆も終わり、病気も一段落してまた創作の方に精出せるようになった。これから老人問題は深刻になる。地域にも家族にも老人を世話する体制がない、老人はますますふえるしそれを営利的な問題として解決する、ビジネスとして処理するにはむずかしい。つまりこれは金だけでは解決しがたい問題なのだ。どこの親にしても社会にしても金、金、金、、、、、の追求だった。しかし人生の最後、金では解決しない、金の力ではどうにもならない問題になる。これは愛情なくてはできないものだからだ。事務的にも機械的にも処理できない問題があるからだ。病院に入院させて放っておくこともできるがそうすると早く死んでしまうというのもうなづける。病人には物理的な看護だけでなく精神的ケアも必要なのだ。口で言うのはやさしいが現場では苦しくなり嫌になり放棄してしまいたくなるのも現実なのだ。


9月25日


やっと久しぶりで折りたたみ自転車をバスで運び浄土平までゆき裏磐梯に二日泊まった。あとは郡山まで下りだったので楽だった。フィルム忘れたのが失敗だった。とにかく4ケ月ぶりで旅したので爽快だった。折りたたみ自転車は楽だが汽車では運ぶのがめんどうなことや問題もあった。パスは本数が少なく利用するのが不便なことなどまたまた金がなくなるなど失敗だった。旅で大事なのは金であった。金が無いともう身動きできなくなる。


10月10日

すぐ前でまた家の建築の工事が始まった。隣にもまた家がたつ、見晴らしは悪くなりがっかりした。とにかく工事は二年も続いている。そこでまた旅に出ることにした。アムステルダムから入りドイツを回りスイスに行きパリから帰る予定、マレ−シア航空で行こうと思ったが帰りの予約が来月の23日なるというのでオランダ航空で行くことにした。11万だった。ロサンゼルスでは運良く帰りの席をHISの事務所でとってもらったが今回はそうはいかない、混んでいると帰りの席をとるのは格安航空券の場合むずかしいのだ。へたすると席をとれなかったりあとにのばされて大変なことになる。アジアの場合は宿が安いのでどうってことないのだがヨ−ロッハはそうはいかないので困った。今回も一人旅で苦しい面はあるが二回目なので多少楽な面はある。外国旅行の場合なかなか教会をみても城を見ても説明してもらわないとわからないのでこまる。ヨ−ロッハの城というのはやはり日本の城のようにその地域を治めていた封建領主なのだろうか。その封建領主の上に皇帝やらロ−マ教会やらいろいろと支配関係が重層的になっていてわかりにくい。どうしても日本の歴史と比べてみるからである。日本にはロ−マやカトリック教会という外国に支配されたということはないから様々の支配関係の構図がわかりにくいのだ。もう一つは歴史がヒストリ−というごとくストリ−なのだがそこにまつわる物語が説明がないとわからないことである。物語はどんな辺鄙な町や村にもあるものでそれを知らないと大きな教科書的歴史ばかりで歴史を庶民の生活を理解することはむずかしいのだ。



11月21日

アムステルダム−ドイツ・スイス−パリの旅から帰ってきた。語ればまた長い話になる。感激したのは自分のホ−ムペ−ジのアドレスを外国のパソコンに入れたら一発で出てきたことである。日本語は出なかったが英語と写真そっくり出てきた。日本語も絵として加工したのは出た。テキストファイルは出ない、これは驚くべき技術だ。一瞬にして世界とつながる。確かにすべてのホ−ムペ−ジはそうなっているのだか外国で誰も読むものはいないのだ。ホ−ムペ−ジの問題は実はここにあるのだ。実際世界のどこでもホ−ムペ−ジは出るのではあるが誰も詠まれないということなのだ。それでは何の効用もないことになる。英語版を作り読まれるようににしないと何にもならない、ただインタ−ネットはそのことが一番むずかしいのだ。アクセス数はやはり伸びない、おそらく当然なのだ。その内容より登録場所によってアクセスされやすい場所によって決まるからだ。だから今度はヤホ−とかがインタ−ネットで権力を持つようになっている。マスコミに変わってまたどうしても権力というのは分散されず中央集権的になるのかもしれない。
いづれにしろ写真がふえたことで記録容量がたりないこととISDN で快速にすることなど大幅に快適な環境にすることが強いられているがすぐ隣で工事が終わったと思ったらまた始まったのでまた移動が強いられるかもしれない、しかしもう旅行はいやだし計画がたたないのだ。



11月22日

旅から帰ってくると親戚のものがまた自殺だった。これもショックだった。ここ20年ばかり合っていなかったが確かにあれ以来自殺の連鎖反応が起きていることは自殺は伝播する、誰かが自殺したいという思いさえ自殺を呼び起こす、今いろんなことで自殺がふえているのはかなり問題である。理由は金銭的なことが多い



11月27日

自殺を考えるときなぜそこにすっきりしないものいやなものを残すのかというと他者に対する恨みや憤りや何か他者に対しての抗議が暗黙の内にふくまれてをり自殺という行為が単に自分だけが死ねばすべてが解決するということではなくそれが身勝手に感じるものを持っている、無責任なものを感じる、自殺とは誰もが肯定しがたいのは自分は死んでしまいばいいというわがまま身勝手を感じるからではないか。ただ自殺というか全く人にそうしたことを感じさせない、生の自然的消滅というのはあるがこれは極々まれであろう。



12月4日

昨日のBSは面白かった。地中海ををテ−マにしたものだがチェニジアとかシチリアに焦点をあててその交流を歴史的に解説したのだがそれがわかりやすかったことである。外国旅行して困ることは説明がないとその建築やらなんでもわからずじまいになってしまうことなのだ。現代ではチエニジアの人がパリでケ−キを売って成功した話というのが面白かった。パリにもそうした出稼ぎの人がいて成功する人もいる。パリにもいろいろな人間模様があるのだろうがそこはわかりにくい。
来年はスペインからモロッコそしてチエニジア・・シチリア・・マルタとか旅できればより実感として納得するだろう、計画はあるがどこまで行けるかはわからない・・・
ヨ−ロッパの歴史は必ずその根となるものル−ツをだとることがてきることだ。日本語のル−ツはいくら探してもこじつけてもわからない、しかしヨ−ロッパの言語の文化の歴史のル−ツは明確なものとして過去から立ちあがってくる、よみがえってくるのだ。それ故にルッネンサン(再生)が常にありうる世界なのだ。


12月26日

今年も終わりになる。今年の自分の一年はいろいろありすぎた。未だに前と後ろで工事している。ホ−ムペ−ジ作り熱心にやったが他との交流はほとんとできなかった。ホ−ムペ−ジ作り自体習得するのが手間暇かかるからだ。写真にしろいろいろなことが手軽にできるのには驚いた。表現力は一人で雑誌や新聞を作ることができる能力がある。しかしこのホ−ムペ−ジの問題はどんなに熱を入れても衝撃的なものでも読まれることアクセスすることがものすごく大変なことである。読まれるように努力するのも大変である。一体詩にしても百編書いたとのせられてもそれを丁寧に読めるだろうか。それだけで読む気力がなくなる。結局古典とか評価されたものを何回も熟読していた方がいい。そんな時間はもうないのである。そしてある意味でこの世界にも失望した面がある。まだ実験段階かもしれないしまだ表現はしてゆくがそんなに熱を入れても反響はあまりえられない世界なことも確かなようだ。反響をえるのはやはりエンタ−メント系統や肩のこらないテレビの放送のようなものになるのかもしれない:これはすごいというものを見つけられないのである。まあ私的日記のようなものとしては書きつづける、表現をねるにはいいのでしてゆくが読まれることも少ないから作品の草稿として書くことになる。そして考えてみると人間はそんなに多くの人とかかわることはできないことである。こんなに多いホ−ムペ−ジをクリックすることさえ大変なのである。自分の場合、地方なので通信費もかかる。その通信費をかけてまで読むべきものがあるかというとなかなかないのである。まあとにかく今年も終わった、来年はどうなるか、ホ−ムペ−ジに余り期待することはできない。工事が終わらないことには一段落できないのだ。


2001年

1月20日

パソコン二台買った、どっちも富士通で小型のものはplicheでノートは
LOOXである。パソコンはみな同じだと思っていたが会社により違うものなのだ。plicheは字が細く読みやすい、画面が小さいのだがかえってコンパクトになり使いかってがいい、意外だった、パソコンはソフトにしろ使ってもないと本当のところどうなのかわからないのが多いのだ
基本的なものは一通りそろっている、ローマ字入力は苦労するがキー配列にも工夫している、字の感じが細くてきれいななのだ
こんなところも毎日使うものには感覚的に影響するものだった。前は字が汚い感じがしたのだ。これはペン字のようで好感が持てる。画面もいい角度になっており見やすい。小型でも性能は劣らずよくできている、やはりこの世界新しいものはいいことは否定できないのだ。ただ画面が暗いし小さいので文章はいいが絵になると苦しい
looxもすぐれものだ、これで通信もできるとなるとこの一台だけで情報が持ち歩けるので外にいても困らない、ただローマ字入力は苦しい。どうしてもここがパソコンの一番の問題だ。

今年は幸先悪かったがなんとかパソコン環境が整いばこれまでの創作をまとめ発展させることができる。とにかくパソコンもなれるほかないのだ。これをつかいこなせなくては21世紀もひらけないほどこの世界は発展していくことは確かである、物つくりより知識の方が価値持つ世界になっていく、例えばインパクなどといっても昔の博覧会とは違い、膨大な設備と金をかけてつくるものとは違う、その映し出されるのは個人のホームページのレベルとかわりない、同じ小さな画面に映ることでそれ以上のことはできないのだ。大会社でもそんなに博覧会のように大きなものを作れない制限されたメデアなのだ。ともかく今年は本当に寒い、雪が溶けないのだ、この浜通りは雪はほとんど降らないのだが今年は冬らしい冬である。石油と電気の併用の暖房機を30万でとりつけた。通信費はマイラインになっても安くならないにでがっかりだ。インターネットはつなぎはなしにならないと本格的には使いない、一時間はあっという間だからだ。この電話料が一番の課題だ。

ホ−ムペ−ジはもう30MB使っていて本格的にやるには100MB必要だ、それをどうするか検討中だ、これを発展させていくと金もかかるし技術的な問題も出てくるがやる価値はある、将来これは不可欠になるし情報化時代の必需品となりホームサバーを持つことが理想なのだろう、そこまではかなりの時間はかかるがそういう方向には進んでいる,結局この世界は日々改善進歩の世界なのだ、だから労力が必要になる



1月29日

風邪で寝た、パソコン二台新しいの使いこなすのも大変だ、どうもコタツでパソコンを操作すると疲れる、パソコンは机で椅子に座って操作した方が楽だ、ローマ字入力になれることが必要だ、キーボードの操作が一番重要だからだ.またパソコンは画面が大きくないと使いにくい、楽に体の一部のように使えないと駄目だ。


1月31日

パソコンの問題はいろいろとつきないのか、簡単にネットワークしようと試みたがだめだった
外付けのCD=ROMを買わないとノートパソコンにソフトがインストールできない、ノートパソコンに
情報を入れて持ち歩くことができたら便利だ。お目当てのものがさっと出ると便利なのだ
膨大な本の情報の一部をスキャナーで取り込みそれを辞書のように出せると実に便利だ。
人間はやはり実は能力が不足したものでそれをどうしてか補わねばならぬ。自分がパソコンを
熱心にやるのは自分のたりない能力補ってくれるものだと思ったからだ。おそらくパソコンの理想は
脳にパソコンを取り付けて持ち歩くことになる、サイバー人間である。これは記録の面だけであり感情や想像力は人間がする、つまり記録することは人間はかなり劣っている、しかし記録の量が小さいと
いろいろな活動の分野で制限されるのだ.人間の能力は実は開発しているのは一部分である.
人間の能力は才能にかかわらず一部分しかつかっていないのである。ものを書くにしても才能というよりまず詳しい資料を集めることそうした情報収集のほうが先でありそのあとに考えてものを書くことになる.人間は記録されたものを集めるにしても限られているからその考え方もかたよることになる。

この世界去年一年はいろいろありホ−ムペ−ジ作りに夢中だった、読まれないにしろまずホ−ムペ−ジであれインタ−ネットの世界は技術的な問題とまたその意味するものが何なのか理解することがむずかしいのだ。それで対話とか宣伝はほとんどできなかった。他者のことに目をむける暇がなかったのである。来月から五分間で10円に電話代が安くなるから多少インタ−ネットに時間をそそげるかもしれない、しかしこれはつなぎぱなしにならないと余裕を持ってはつかえない、フレッツISDNさえここの地域はないから損だ.いまだいろんな面で自由には使いないものである.

今日回ったホ−ムペ−ジにいいものがあった、若い女性の俳句だが感覚的に新鮮なのだ
女性の繊細な感受性が出てい良かったのである、女性には男性には作れないものが作れる
女性には文学的な才能がある人がいる、文学には女性的な感受性が必要なのである。
インタ−ネットもいまやゴミだけではない。いいものがあるのだが見つけるのがむずかしいのだ。