消えた駅名(楢原)のショック

楢原に泊まる一夜の古き宿汽笛ひびきて夏の日暮れぬ

楢原の駅名変わる歳月や我が旅せしは昔なるかな

今楢原という駅はなくなっていた。これはショックだった。会津鉄道は会津下郷駅になっていた。この会津鉄道さえ赤字路線でなくなってしまうところだった。それで自分は切符まで記念に買っていた。これは栃木県と結び東京ともつながり第3セクタ−として辛うじて残った。なぜこれがショックだったかというと自分は楢原という駅名のときにそこに下りて古い旅館に一人泊まったことがあったのだ。それで楢原とは楢の木が多く生えていたから楢原だとか記憶していた。それはよくわからない、もともとは奈良原と漢字をあてていた。ナラは平という韓国語系統の言葉らしくクンナラとは大いなる国でナラは国のことだった。クンナラとは百済のことだったとか言う人もいる。。ならすというごとく山の中でも日本は山の国だから平な所が生活の場となり貴重なのだ。ここにとまったのは20年以上前か本当に昔になったのだ。ただそこに泊まったことは記憶していた。汽笛のひびきがまじかに聞こえる所だった。あそこから二股山を見たのである。深い谷があり急峻な山を登る路線である。長めはいい。湯の上温泉は有名である。

最近県名とかでも(さいたま)とか他に合併した都市が(ひらなみ)とかひらがなにしたりと合併やその他昔の地名が変わるのが多いみたいだ。そもそも駅名とか地名はめったに変わらないものという前提がある。人間の名前が一代で変わらないのと同じである。それが20年くらいで変わってしまうことは余りに変わりやすいとなる。前は汽車で旅をしていた。もう汽車は乗る線がなくなった。汽車の旅で常に心に残るのは駅名なのだ。駅名だけが心に残りその町や村を過ぎてゆくのだ。日本の地名は特に世界でも多様であり明らかに文化財なのだ。楢原と漢字で書くとどうしても楢の木をイメ−ジする、楢の木をイメ−ジしてもあそこなら合っているのだ。漢字そのもの絵であり図形として認識し記憶することになる。だから日本語はかなと漢字のハイブリット語で読むスピ−ドが早くなる。絵として図形として本の一ペ−ジを読んでいるからだ。これが漢字だけとなると中国のようにかえって読みずらくなる。かなによって漢字を強調する役目をになっているのだ。漢字とかなの配合によって読みやすくしているのだ。だからかなだけになるとイメ−ジする力が弱くなるのだ。しかし名は体を表すというごとく名前は大事なのだ。名前には何かをイメ−ジさせる力を持っているからだ。芭蕉の旅も歌枕を訪ねるという旅だったというのも旅する前からイメ−ジしていた旅があったのだ。とにかく地名や駅名が変わることは実際は大変なことであり簡単には変えるべきものではないのだ。そこがかつてなんてあったかを示すのが地名しかないというのが多いのである。地名は土地に記された化石のようなものになっている場合がある。それほど古いのである。

「楢原」「楢原」・・・楢原の駅がなくなった!!!!!!
オレが泊まった町がなくなったのか、どうしたんだ、聞きのがしたのか、そんなはずはない、「楢原」「楢原」・・・・オレが一度訪ねた町は消えたのか、ああ・・・昔となってしまったのだ、こうなってしまうこともあるのか、町の名も変わる、ついに自分の住んでいた家さえなくなり誰も記憶するものすらなくなる、これが人生なんだ、この世から消えてしまうというショックである。これは本当にショックだった。楢原に泊まったのは実に遠い昔になってしまったことを自覚したのだ。自分は旅しているうちにそれだけの歳月が流れてしまったのだ。この世の変化のスピ−ドは早い。実に早い。「この世は変わるな、あらゆるものが変わるな、20年前に行った駅名がなくなっていたよ、」「毎日変わっているよ」家のものが言ったがこの世それは毎日変わっているのだ。どんなものも変わらないものはない。今盛んでもたちまちそこは往時を偲ぶものさえない寂れた場所になることはめずらしくもないのだ。

楢原の駅

谷間の深く渓流は激ち流れぬ
その崖に山百合の咲くかな
楢原の町は高きにありにし
二股山の聳えて引き締まる
会津の山々ひしめき迫りて
汽車は急勾配の山を上るや
汽笛は古き宿にひびけり
夏の日よ、我は旅して古き宿
そはなおありや歳月は流れ
楢原の駅名は会津下郷となり
我も老いるやはや歳月は流れぬ
しかり汽車はひびき汽笛を鳴らし
なお坂を上り進まんや
我が胸になお熱くひびき進まん



ここにSLが走っている時代の風景がでている。

SL会津線

http://www.asahi-net.or.jp/~aj4s-ski/index.htm