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暮れる地名
はるかにも旅路来たりぬ北の夏夕暮れ橋とはあわれなるかな
自転車で屈斜路湖まで行った。そこに夕暮れ橋があった。そこには夕暮れについたのだ。まさに夕暮れがふさわしい。これもここまで苦労して来たから夕暮れ橋というのが心と一致するのだ。自動車だったらこういうことはありえないのだ。こういうことは歩いた旅には必ず感じたことである。
呉ヶ峠の地名の由来は,朝,福山を出発して約50キロのこのあたりまで歩いてくると,ちょうど日が暮れることから「暮れ」がなまったものと言われている。
上野の草津の湯より
澤渡の湯に越ゆる路
名も寂し暮坂峠
(牧水)
暮れるというのが地名になるのは昔の旅人の気持ちにならないとわからない、旅人からみて名付けられたのだ。歩く人の感覚で名付けられた。ある所からある所まで歩いて行くと日が暮れる。歩く感覚で名付けられた。昔の旅は日が暮れると非常に心細くなる。自動車の旅のようにここで泊まれなくても次の町で泊まればいいとはならない、暗くなったらもう歩けないのだ。自転車でもそうである。あと二三キロでも走り続けると遠く感じるのだ。近くに宿がありますよというがそれは自動車ならばいいが歩く人や自転車だとそうはいかないのだ。だからどこでも泊まれるテントが必要になるのだ。暮坂峠というときそこで日が暮れる、日が暮れるまでそこを越えないと宿に着かないということもありうる。だからその地名が目印となったのだ。
自動車の旅は時間の感覚がまるで違ったものになる。暮れるという感覚すらなくなる。夜でもかなりの距離走れるからだ。自動車には峠を越えるとかいう感覚もない、峠を越える喜びもない、バイクですらそうである。だから昔の人が歩く感覚で名付けた地名の意味もわからず突っ走って行く。そこに昔の人の苦労も歴史も偲ぶことができなくなっている。地名というのは歩く感覚で大地に記された跡である。高速道路を走り去ってゆくバスから枯菊を見てそんなものを目をとどめぬ現代のせわしさを俳句にした人がいた。歩いていれば道端の花にも碑にも目を注ぐことがある。そういう道すがらのものにも目をとどめずただひたすら突っ走って行く旅は旅ではない、ただ早く早く通過して行くだけである。新幹線で旅したって何の面白みもない、早く通過して行くだけだからだ。文明は技術力で遠い地点と結びつくのは便利になる。外国でも簡単に行ける、おそらく将来は火星でも他の惑星でも行けるかもしれない、しかし逆にそこまで行く過程が省かれる、だからその経験は貧しいものとなる。旅はプロセスであり過程であり道草であり道行きでありそれを楽しむことである。
だから現代人の旅はかえって何か充実感、達成感を残さない、簡単に目的地まで行けるのだが記憶にないことが多い、あの坂をやっと越えたな、この距離を歩いてやっとここまできたとか、そういう達成感もない、結局宿でうまいものを食うのが目的になったりしてしているから旅ではない、昔の旅を知るならやはり例えばみちのくから江戸まで歩いてみなければわからない、二三時間で到達するのはとは全然違う、江戸ははるか遠くの見たこともない繁華な街である。一生に一度とかしか行けない都なのである。それは歩いて8日間で着いてみればその実感がある。歩く過程が省かれているから到達する感激もないのだ。文明化し便利になることは原生の感覚を失うことであり何か大切な体験をしないで人生を終わることになる。芭蕉のような昔の旅人の俳句も残せない、芸術の基本は人間の五感であり機械に頼れば失われる。大地から文明の力で便利になりかえって遊離すると大地から生まれる力を摂取できないのだ。力(ちから)はチ(地)カラ(唐、韓)でありカラはおそらく外国から入って来た技術力である。文明の力である。その技術も地と一体となるとき効力を発するがカラ、技術力が巨大化すると地から離れて地から生まれる原生の感覚は失われるのだ。
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