飯館は合成地名だった!(多い合成地名)
飯館が合成地名だとは思わなかった。図のように複雑な過程で合成された地名だった。これは古くからの地名だと思っていた。古い館がありそれで村の名にした。屋形、館とつく地名は村の中心となる庄屋とか館があったからつけられた。ただ新館とあったのだから館があったことは確かである。新しい館というのがその基であり、その前の飯とはなんの意味もないものだった。月館は月とは関係ない、つきはツク築(つく)であり館を築いた所だろう。築館も実際にある。新しい館とはそこに新たに館を作りそこを中心に村ができあがっていった。この合成地名が多い。これは江戸時代から明治時代になるとき行政の単位が変わり名前を変えざるをえなかった。町村の合併のためにそうなった。この命名の仕方は機械的というか数学的というか本来のその土地にあったものを基本にするのではなくただ便宜的につなぎあわせただけである。つまりabc
def と名前があったらadというその地名の一部を取り出してくっつけたのだ。それにしても石橋村とはどこなのか石橋があったからであろう。石橋は石の橋が珍しいからそれが名となった。二枚橋はこれは川をわたるのに二枚の板など渡して作る粗末な橋でありこれも名前としては多い。地名となるにはそこが何か生活上重要な役目、村の人にとってかかせないものであったからだろう。橋を渡るのも東京に一つ橋があるごとく一つの橋、丸太を渡す橋が一本あったからというのも信じられない、橋とういうのは生活上不可欠でありそこが何か生活のポイントととなるから名前がついた。
ともかく合成地名が多い。長野県の楢川村も奈良井と贄川という村が合併してできたから楢川とした。これはもともとあった村だと思ったが違っていた。奈良は楢になっていた。これは味気ないものであるし問題がある。楢川村はさらに塩尻市と合併するとどうなるのか、楢川村は消えてしまうだろう。合併論議が盛んだが小さな町や村の名は消えるかもしれない、これも合併の一つの問題である。地名もやはり歴史が基礎にありそれを変更すると歴史が残らない、歪められるということがある。福島県というのもこれも歴史的に作られたというより人工的に無理やり作ったから何か不自然なのである。江戸時代から明治になったときここで様々な変更がありそれが現代までつづいているのだ。地名の変更が問題なのは楢原の駅名が消えたショックで(時事問題)で書いたがそこが別な世界になった、今まであった世界が消えたというショックを感じるからだ。つまり地名はそれほど日常生活で大事なものなのである。地名からその土地を喚起する、呼び起こすのだ。その土地の地名が消えることはだからその土地そのものが消えたような錯覚におちいるのである。