山口県阿東町の一集落に「囲穀制度」というのがあった。集落十一戸が一定の量のモミ(後には玄米)を集会所の共有倉に貯蔵し、不作年や戸どもが多くて食糧に不足をきたした時には、一定の利子をつけて借りることができるという制度であった。大正三年の三戸の人が約九石返納したという記録があるから、それ以前からあった制度だろう。こうした地域社会の互助の仕組みは、郷倉とか社倉という名で各地にあったが、各種の共済制度のもとに姿を消していき、同時に地域社会の中でも人を頼らず、金だけを頼りにする生き方が主流になり始めた。
地域の解読
過疎化の農村の研究者
http://www.lit.kyushu-u.ac.jp/~ogawa/decode.html