老人の病い直らず春寒し
春光にカモメの白さ眩しかな
a constant winged seagull
bright shining white one
with sunbeam in spring
春の日やカモメ群れ飛ぶ舟溜
桜井の古墳大なり樹々芽吹き海の近しも波のひびけり
万葉の園訪ぬれば森の奥山雀の声高鳴りひびく
春風の海より吹きて振り向けば
蔵王になほも雪の厚しも
神苑に今日尋ぬる人なしも古木の梅の一日にほひぬ
神苑の古木の梅の香るかな
二三輪開く梅による虻二匹
梅香る今日もこの道行きにけり
家の間に菜の花咲いてなごむかな
春の空平和の使い鳩の飛ぶ
京の日や椿に花散る詩仙堂
白椿のつぼみふくらむ我が庭にやさしき月のい出て見守る
冬を越し山家一軒に桜の樹
石一つここに動かず冬菜畑
飯館ゆ海を望むや春来たる
野に立ちて遠くながむや日永かな
我が庭の椿の蕾手にふれぬ
春の日や同じ仲間の雀群れ
なおさらに齢延ばすや福寿草
新作の茶碗一つや春来たる
轟きぬ春の潮や東海道
沖に船東海道や春の富士
豊橋へ東海道や初燕
街道に残れる松や寒椿
久々に隣の街へ椿咲く
松並木六万石の冬の暮
春はまだ昔の道に六地蔵
六地蔵
六地蔵は何なのか、六道の辻とかにあるから六地蔵とか六つの道の交わる所にあるから六地蔵となったとか村の入り口とかに必ずある。日本の村を象徴するもののような気がする。今は何か淋しい所にあるのだが昔は人が出入りするにぎやかな所にあったのかもしれぬ。今は淋しい所でもかつてはにぎわった所がかなりある。いたるところにある。六地蔵のあるところも人の出入りの多いところにあったのかもしれぬ。しかし旧街道の相馬の入り口にあったこの六地蔵には気づかなかった。石碑になっているがよく見ると六つあり確かに六地蔵だったのだ。こうして身近なものでも気づかないものがあるものである。インタ−ネットではそうした地域の身近なものを再発見する報告が豊富である。いづれにしろ今はこの六地蔵に関心を持つ人はいない。巨大なス−パ−に出入りする人でひっきりなしに自動車が出入りしている。でも昔の街道には何かしら昔を偲ぶものが注意するとある。
海と山と
丘から海を見て振り向けば蔵王が見えた、蔵王が八沢浦からも見えるととは思わなかった。初めて見たのである。同じ所に長く住んでも初めて知るということは意外だ。自然は多様であり絶えず季節ごとであれ違った用地見えてくるのだ。日本は常に海があり山がある海と山の国なのだ。この歌は人麻呂の歌とにていた。
東(ひむかし)の野に陽炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(0048)
海から春の風が吹いてくるのだが山の方はまだ雪に閉ざされている。蔵王は厳しい山であり長く雪に閉ざされる。海は解放的だが山は内にこもり閉ざされるのである。
山家一軒
今日(2月20日)上萱に行ってきたがやはりあそこに人が住んでいた。警察の車がきて聞いてみたら生活保護の人が住んでいる。あそこは電気も水道もないからテレビもない、猫が二匹いた。土を盛った墓すらなくなっていた。移動したらしい。残っていた藁葺きの家も壊されていた。印象に残ったのは一本の桜の樹があったことだ。あれは四五軒家があったときからあったのだ。山桜ではないからだ。樹だけが残ったのだ。人間は消えても樹の方が残り何をか語る。人間とは実に無常なものであり変わりやすい。一本そこに残っていた桜の樹の方がしっかりとここに残り冬を越してまた花を咲かせる。ただ人がいないと自然も生きてこないのも事実である。ここに一人誰か棲み冬を越すことで花が咲きこの桜を見るから花もいきてくる。自然と人とは一体になり生きてくるのである。
上萱の桜の樹
上萱に昔四五軒家ありぬ
炭焼きと蚕を飼いて暮らす
今は人棲まず墓も移れり
上萱の道上りきて我が寄るは
残る一本の桜の樹かな
冬を越しここに変わらず立ちぬ
人は去り人は変わりぬ
されど変わらず一本の桜の樹は
昔ここに棲む人の見しごとに
ここに変わらず立ちて花の咲くらむ
相馬神社(中村神社)