熊本に行く線にふなごやがあった。これは海は遠いので海でなく川にあったふなごやかもしれない

晩秋にふなごや停まるローカル線

このローカル線は常磐線とは違う。常磐線は一時間に一回しかでてないが
15分おきとか頻繁にでている。この辺は結構人口があるのかと思う。熊本が近いせいもあるのか辺鄙なローカル線とは違う。ふなごやということでそこに昔の生活が偲ばれたのである。地名からしか昔が偲べなくなっているのが多いのだ。

今日寄ったのは吉野ヶ里だけだった。楼閣があり柵が二重三重にめぐらした環濠集落である。弥生時代になった時、稲作が始まったとき戦争の時代になったのだ。百余国が争うとあるのはまさにそれを示している。第一印象からしてものものしい感じだった。平和の村というのではない、これは防衛第一に作られたものである。攻めてくる敵から守らねばならなかったのだ。では何故戦争が起こるようになったのか戦争は土地であれ獲物であれ女性であれ何かを敵から奪うことから始まった。奪うものがないなら戦争は起こらないだろう。縄文時代が比較的平和だったというのは奪うものがなかったからだろう。稲作するためには土地が必要だが縄文時代は土地はそれほど必要なかったのかもしれない。狩猟採集bgであり貯えることも少なかった。稲作が始まると米を貯える倉ができたり青銅器や鉄が作られ高度に文明化したのだ。文明化することは戦争も大規模化することである。米というのは生活を安定化した。毎年一定にとれるからこれは権力者にとっても都合がいいのだ。税として一定量をとることができる。それでその米を貯える倉が多く作られた。この食料を貯える倉は神殿だったという。物質的な裏付けがないと権力ももたないのだ。神がかりだけでは人はついてこない。「お前らは俺が食わせてやるから、王のために戦い」となる。権力の発生は階級制の発生であり収奪の発生だったのだ。強いものと弱いものの分化である。技術も権力にとっては不可欠のものだった。鉄の生産とともに国が巨大化したとか鉄によって国がつくられたというのもそのためである。
とにかく現代の文明が原子爆弾に行き着いたように文明化が平和をもたらすわけではない。武器の発達、生産力の増大が戦争をもたらした。首のない死体、槍がつきささった骨とか戦争の生々しい傷跡が残されていたのだ。土地の奪いあいや貯えられたものの奪い合いがあった。つまり人間は全然変わっていないのだ。こうして人間は戦争を繰り返してきたのである。
人間は発展も進化もしていない、ただ環境が変わっただけで人間の本質は同じなのである。人間は進歩しないのだ。罪なる人間は変わりないのである。道具が変わり生産力が増大しただけでありその本質は何も変わっていないのだ。高度の文明化が大規模な戦争になったことがそのことを如実に示している。いずれにしろ百余国が騒乱になっていた状態の再現だった。そこから邪馬台国が生まれた。それがどこにあったのかはわからない。九州は中国、韓国の文化の入り口となり大和の礎になったことは確かである。

み吉野の象山の際の木末にはここだも騒く鳥の声かも924

奇妙だが吉野ヶ里にきてイメージしたのが万葉集のこの歌だった。ものものしく騒ぐ野生の鳥の声の叫びである。実際竹藪に鳥が群れて騒ぎ鳴いていた。
とにかく平和のイメージが全く感じられない古代の軍事要塞だった。

晩秋に訪ねてあわれ吉野ヶ里柵に囲まれ眠る人かな

甕棺に納められた土を盛り上げた墓の列があった。これらはみな兵士のように思えた。王を警護する兵士である。

それから帰りの道を行くと雲雀が鳴いたり燕も飛んでいた。こんな時期にどうしたのだろうと思ったが最近の温暖化で野生の鳥まで帰る時期がわからなくなってしまったのか温暖化はかなり自然のリズムを狂わせている。南だから確かにそいうこともあるが異常だと思う。

吉野ヶ里未だ帰らぬ秋燕

吉野ヶ里には新しい駅もできた。二年前にできた。それだけの人もきている。九州にこういうものが出たのも必然であった。それだけの歴史的背景があったからだ。インターネットでの報告はこういう時力を発する。「ええ、今まだ燕がとんでいるの」となるのだ。それもホームページの場合はライブ放送があるからそのときアクセスしないとだめなのである。今本当に燕とんでいる、その報告はやはり驚きになるのだ.ただ動画でないからそうしたリアル感に欠けるのである。インターネットの生放送がもう一つ訴えないのはそのためである。


九州への旅の報告

11月4日 

佐賀ー熊本

熊本へ