鶯の鳴いて暮れにき森の奥かそか花散る道を帰りぬ    

   そちこちに鶯の音や暮るる里

   春潮やアンジンの墓平戸かな

   春潮のひびき鴎や沖に船

   春潮のひびきを受けて鴎飛ぶ

一時の嵐に散りし白椿ことに美し今朝の我が庭

思ほえず昨夜の嵐に白椿散りし一輪今朝見ゆるかも

                      
  山陰の辛夷の白く夕暮れぬ

     水清し上の流れやスミレかな

     鶯の森に隠れて日がな鳴

      散る梅の今一時の香りかな

         (平安神宮の池)
    花あまた色濃く映す京の池

         絵筆とる松に桜の盛りかな

     故郷の松質実に下萌ゆる
          
      春風や太平洋の沖に船 

     鶯の今日も来て鳴く家にいて

鶯の鳴きて去りにし余韻かな

一枝折る梅林の香に満たされて

日々流る沈丁花の香り庭にこし


一人見ゆ夕べ静かに白椿

白鳥さり燕の来たるみちのくに

さえづりの奥にひびきて山の村

雨しとと一日家にいて白椿

あたたかく春のひざしに山の墓

千歳経し大岩ありて芽吹くかな

清流の巌にひびき芽吹きかな

水上の激つ流れや芽吹くかな

山中に残る二軒や芽吹くかな

石一つ庭に定まり梅香る

松の間に鶯鳴いて夕暮れぬ

ひたすらに香り放ちて梅散りぬ

流れくる梅の芳香や松一本

十分に梅の匂える室の内

夜もなお梅の香流れ黒茶碗

地も人もひびきあうべし春の雷

衰ろえぬ大地の力ふきのとう

梅あまた芳香尽きざるこの道に

年たけて梅の芳香の我に満つ

春愁や400年争う京老舗

築地塀しだれ桜や京の路地

鳴きあいて疲れを知らぬ雲雀かな

春疾風戸をたたきつけ吹きぬけぬ

坂越えて隣の市の春の山

おぼろ月今日も隠れてゆかし人


悠々と春満月の上り来ぬ

人も地も春胎動し新たかな

春の灯や新築の家並び立つ

新築の家のペランダ春の雲

老いし母最後に幸あり福寿草




俳句の疑問

   常に俳句には短い故にこれだけで本当にすべてを表現しているのか、一句の意味が読み取れるのか
疑問がつきまとう、おそらくそんなに深く読む人はいないしわからない面もある、どういう所でどういう場所で読まれたのかその背景がよくわからない場合、読みとることが非常にむずかしいように思う
この辛夷咲いていた所、山陰といっても本当に人もまれにしか通らない山陰でありそこは日陰になりやすい
所であり日陰(影)山という名があるごとくいつも日影になっている奥深い山陰なのだ。そういう所に白々と
まるで雪のように林の中に白く咲いていて人も通ることもまれな山陰の道なのだ、霧だけが流れてくるような深山ではないがそれに近い雰囲気だといえよう、なかなかそういう場所に咲いていることを想像することは普通できないかもしれない、俳句だけでは表現しきれないものがある、写真とか絵とかできれば添えるといいのだが絵は描けないから写真というのが俳句に合っている、つまり写真のワンショットが俳句であり二枚三枚とシリ−ズになると短歌になるのかもしれない,俳句というのはそうした写真とか一体になるとわかりやすい面があるが絵が描けないとすると写真の合成やなんらか目で訴えるものを見せる工夫が必要になるのかも、この点ホ−ムペ−ジは写真やその他絵などを見せるのに便利な道具なのだ、若い人のコンピュタ−画像を駆使したのには見るべきものがある、文章や詩は読むにたえないものが多いなかで絵を見せるということではそうした感覚は優れていることはたしかなのだ。

 山陰の辛夷の白く夕暮れて一人我が行き人も通らじ
これは短歌になるもので俳句ではない、どうも自分の場合、短歌に向いているのかもしれない、
ただ俳句でも短歌でも日々の季節の変化の中で作られてゆくので似ている面はあるのだ
俳人とか歌人とか分かれるのは本来をかしいのである。詩は全体として追及すべきもので分かれるべきではない、ホ−ムペ−ジで若い人が詩全体を追及していることは良いことである、俳句とか短歌とかの封建的結社に入ると伸び伸びとした表現が制約される面がある、しかし日本人は俳句と短歌といった詩の形式が詩の基となりそこが基礎でありそこから離れられないのも運命でありそこに伝統の重みがある、季語の理解は詩を書くものの基礎中の基礎なのだが長い詩を書く人にこうした
日本のセンスが 欠けている、日本的抒情的なものの喪失は文化の衰退と破壊であり詩が互いに理解しえないものとなってゆく混沌を生み出している、俳句というのは日本人として会話が成り立つもので相互研鑚できるものなのでタイトルは俳句にしたのである。
鶯の森に隠れて日がな鳴く木々の芽吹きて流れひびきぬ
絶えまなく水清らかに流れ来ぬ山の道の辺スミレ咲くかも
俳句と短歌の分かれ目はどこなのか、俳人と歌人というのに別れているのも感性の違いなのか、子規は両方とも優れていたからそれが日本の詩歌を追及するものには自然なのかも
英語訳
    
       some skylarks are singing out
      in competition with constant power
      all day long

自然の美の不朽性
庭に沈丁花の香りが日々こく流れている、福寿草とクロッカスも咲きスプリングスタ−と桜草がともに咲く、白椿の花もしとやかに咲きこの一隅の庭も春の盛りを迎えている、日々美しいものに満たされる、美しいものが心に映る、詩を書く前にそうした清い心を持つ方が大事だ、心が欲に汚れ心が乱れると自然の姿も反映されない、しかしなぜ自然の美はかくも変化に富んで深みをましあきないのだろうか、その美しさはどこからきているのか、その信じられないような無心と無垢からきている、詩を書こうとする場合、意外と才能だと思っているが才能ではなくその自然に向かう心が大事である、自然と同じよう心が無心で無垢だと心が澄んだ鏡のようなり自然をそのま写すことができる、しかし様々な邪心や欲に満たされると見えなくなる、才能があっても心が汚れてゆく人間もいる、才能というのも必ずしもすべてではないのだ。だからちょっと俳句を作り賞をもらうかなどと思うと心がすでに汚れ俳句もできないようになっている、有名だからといってその人の作品がいいとは言えない、あれらもマスコミによって作り出された、有名にされたのである。何故に出版社の意図でもうけるためにである。誰も出版というのは簡単にできるものでないからだ。出版のために身も心も消耗しきった人がいる、それほど今までは発表すること自体余りに大きな壁が存在したのだ。つまりなんでもこの世はそういうものでありこの世の欲と自然から得られるものは相入れない、一方を得ようとするものは一方も得られないのがル−ルである、若い時なぜ俳句のようなものさえいいのが作れないのか、結局欲望が強すぎることと、心が常に乱れていて行動に向いてはいるが鑑賞には向いていないためである、若い人の詩が読むにたえないのが多いのはそのためである。それでも表現したいことはわかるが表現はある程度抑えてからの方がいいのだ。どうせみんなコミ屑ゆきなのだ。自分自身が自分の詩を見てみんな捨てるようになる、私もそうだったから、俳句のようなものさえいいものは作ることがむずかしい、とにかく自然と一体となる喜びは大きいのだ。春は特にそれを感じるのだ。

白椿その汚れなさ今日の日も見てあかじかも夕暮れにけり
山の墓
山の中に二軒の家が残りそこの木立の中に一族らしい墓が四、五基あった、春のひざしに墓まであたたかい感じがした。それもまだこの墓を守る家族がここに住んでいるからそう感じたのかもしれない、というのは私の身近で山に住むものがいなくなり墓だけが残っている所を知っているしそこは墓だけが残されてしまったのである。その墓はなんとも淋しい感じがしたのだ。墓すらやはり人が近くに住んでいないと淋しいものなのか。墓でも遂には上の墓石がなくなっている墓が山の奥にあった、かなり大きな墓なのだがなぜ土台の石は残りその上に立つ墓石がないのだろうか?誰か盗んでいったのか?全くもってわからない、人が住まないと山も荒れるし墓も荒れ果てて幽鬼が住むようになる。
前に「
みかん一つ供えて残る山御堂」という句を作ったがみかん一つ供えられてかろうじて残されている山の御堂であった。もし土地の人が何も供えないとしたら無用のものとなる。なんらかの謂れがありそこに棲む人とのつながりがなくなる時遂には無用のものとなってしまう
室の梅

梅一枝を部屋にさした、梅とはよく匂うものだ、部屋にさすとその香りは十分に部屋に満ちてくる、紛々と匂ってくる、日本のような狭い家だとその香りは部屋一杯に匂う、なぜ日本の文化から茶が生まれたのか、日本の家や部屋自体、狭い茶室なのだ、日本では狭い土地をいかに有効に活かすかが問題だっだ、狭い山間の地でもどこまでも棚田や畑を作ってきたことがわかる、山が多い割に耕地となる平地が少ないのだ、日本では平という地名が多いのもそのためである。山間の地でも平というのが多い、平な所が貴重だった歴史を物語っている、山の上に隠されたように平らなところがありそこが田になっている、こんな所にも平らな所があり田があるのかと感心するしそこがまるで桃源郷のように思える所が結構多い、山の中で平らな所は人の住める世界を作ることだったのだ。奈良という名もならすということからだしならして平らにすることが稲作や畑にするには必要だったのだ、このことは日本がハイテクの分野で才能を発揮した元ともなっている、狭い所に密度の高い生産性のあげる耕地を作ることが要求されたからだ、大陸のような広い所の感覚と日本人の感覚はかなり違ってくるのもやむをえない、アメリカの西部の広さには驚いた、そこではただどこまでも伸びて広がるという意識しかでてこない、フロンティア精神はあのようなとてつもない広い世界から必然的に生まれたのだ。
狭い部屋だからこそ十分に梅の香りは満ちる、狭くても日本はそれなりに心地よい世界を作ってきたのである。俳句というのもまたその狭い日本にふさわしいものだったし日本の伝統なのである。短い句でもそこには一つの宇宙が謳われることもあるし一句の持つ意味が深いものがあるのだ。日本は小さいものを追及することに向いていた、日本人が大局的見方が不得意であり細部にこだわり細部の美を追及するのもそのためである。大陸ではまず建築として巨大な構造物としてまず計画し安定を計る、大局的設計がまずありそのあとに細部にこだわる、広い空間を土地を持つものはそうなる、日本は大局的見方、戦略的発想はできない国なのだ。日本人の美は枕草子の「
何も何も、小さきものはいとうつくし・・・」となる。茶室が一つの宇宙とする時、俳句もまた一つの小宇宙なのである。
京都の老舗
テレビで京都の観光タクシ−が神社の前で有名な団子など売る菓子屋が向かい合い400年も争っているという場所に連れていって説明していたがなるほど京都ならではのことである、400年も続いている老舗はそうざらにはないからである。私のような田舎町にはないのである。
京都はそうした謂れを知らないとなかなかわかりにくいところであり観光タクシ−だからこそ行けた、そうした古い謂れのある場所は他にもあるがよそ者にはわかりにくい
一元さんとか言われて内部には入りにくいのが京都であるからテレビ見て俳句作るのは珍しい、実際に見て触れたものでないといいものができないから、空想の句はたいがいいい句ではない、詩の場合は空想の場合がいい詩の場合があるが・・・・・

大地の力

ふきのとうが今年も出た、大地の力は衰ろえぬ、季節が巡ればやはり同じようにふきのとうが出てくる一方不景気の昨今、経済全体の衰ろえを嘆くが確かに常に工業、商業などは常にその繁栄はどこも一時的なもので常住のものではない、非常に盛衰が激しいものなのだ、しかし大地の力は衰ろえることがないのだ、鉱物資源や石油でもいづれはとり尽くされるが大地の養分がとりつくされることはない、確かに大地が砂漠化した所もあるから一概には言えないが大地の力は衰ろえることがないものなのだ、やはり農業が国の根本であり大地から離れた人間は絶えず変動する社会に右往左往しなければならず心も落ち着くことができないのだ